2019/11/28 「常識に捉われるな!」の真意
「常識に捉われるな!」という言葉をきいたことがない方は少ないと思います。世の中、確かに常識を破ることで成功をつかんだという話は多いですし、そのストーリーを見て感心することもあるでしょう。では、あなたは常識に捉われない人ですか? 「そうだ!」と胸を張って言える人は勘違いしているかもしれません。なぜなら、常識に捉われない人などいないからです。
例えば横断歩道に差し掛かったところで信号機が赤だったとします。するとあなたは自然と歩みを止めるでしょう。道路交通法第7条「道路を通行する歩行者又は車両等は、信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等に従わなければならない。」を参照する間でもなく、小さいころ大人に教わって自然に覚えた人が圧倒的に多いと思います。信号を守るというのは一つの常識です。ところが、なんの抵抗もなくいつも信号無視をしている人は現にいますし、それが原因で事故に遭うということも少なくありません。ですがこの場合、信号を守らない人は常識を破っているのでしょうか? 私はそうは思いません。信号を守らないことが常態化している人の中では「信号は守らない」というのが実は「常識」なのです。
つまり、世間一般的に(暗黙かどうかに関わらず)定められた常識とは別に、自分自身が今抱えている「常識」があるのです。そして、「常識に捉われるな!」という場合の「常識」とは、この「自分自身が抱えている常識」のことを言っているのです。人は成長するにしたがって、経験や知識から知らず知らずのうちに自分の中に「常識」を抱え込んでいくのです。
ところが、この常識が邪魔して目指すゴールにたどり着けないことがあります。例えば、巨大迷路で同じところをぐるぐる歩いているがどうしても先に進めない、どの道も行き止まりにあたってしまうという場合。私たちは知らず知らずのうちに、行き止まりというのはその先に進めないものであるという「常識」に捉われています。何度も壁にぶつかっては跳ね返されてきた経験から、あるいは「柵があったらその先に進んではいけない」という決まり事を守ってきた習慣から、行き止まりというのはそういうものだと思い込んでいるのです。もちろん、その思い込みはほとんどの場合正しいでしょう。しかし、案外、行き止まりの壁を押したら隠し扉になっていて先に進めたということはあるのです。その発想が出てきたとき、「常識」はあっさりと崩れ去ります。これが「常識を破る」ということです。
「常識」とは、自分の中にある凝り固まった考え方です。人間は安心を求めて同じ行動を繰り返しています。一応なんら支障なく暮らせているので、常識を破るには勇気がいるかもしれません。しかし、その「常識」(=「凝り固まった考え方」)に捉われず、一歩踏み出すことができれば、そこには大きな成長が待っているかもしれません。その期待があるのであれば、迷わず踏み出したいですよね。
【執筆】人事担当