2019/09/17 自由には責任が伴う? 逆でしょ!【スタッフ投稿 2】
一般社員のころは、自分ひとりのことだけを考えていればよかった。
役職が上がると、あまりあれこれ指図を受けなくなる代わりに、達成しなければならない目標が大きくなり、部下を持てば結果を出させなければならなくなったりと、責任が重くなっていく。部長になれば組織を持つことになり、さらに大きな数字を追いかける責任を負う。部下に結果を出させなければならない部下に結果を出させなければならなくなる。社長になれば、会社で起こることは、名誉も不名誉もすべてその肩にのしかかってくる。地方自治体の長になれば、ゴミが落ちていることまで責任を問われ、国の長になれば、国民の一人が放った他国への侮蔑発言への批判を受けることもある。
「ああ、こんなことなら自由などいらない、昇進などしたらどんどんしんどくなるだけだ」と感じる人が少なくないのも無理はないように思う。
これは「自由には責任が伴う」という慣用句に問題がある。自分は逆だと思う。「責任を持つことで、自由を手に入れられる」のだ。また「責任」とは「責められ、任せられる」わけだから、受動的で押しつけられるような気が滅入る残念な言葉だ。「責任」は英語で”responsibility”。”response”は「反応、応答」、それに”ability”(能力、才能)がくっついた言葉だ。”responsibility”とは「応答する能力」。なんと前向きな表現だろうと思う。つまり、「自由には責任が伴う」⇒「責任(responsibility)を持つことで、自由を手に入れられる」⇒「応答する能力があるから自由が手に入る」ということになる。自分の「応答する能力」を高めれば自由が手に入るわけだ。
よく考えれば当然のことだ。例えば、「野球への応答能力が高くなれば、野球という競技において自由になれる」(要するに、練習して野球が上手くなっていく)わけだ。わくわくする。これを「自由には責任が伴う」式に考えると、「プロ野球選手は、結果を出さなければ解雇される」みたいなことになる。これでは目指したくなくなる。「応答する能力があるから自由が手に入る」であれば、「野球の能力が認められて、プロ野球選手になる」という前向きな表現になる。
仕事に応用すれば、つまり、自分の能力を高めれば高めるほど自分の価値は上がり、できることが増えていく。認められれば役職が上がり(給料も上がり)、自分の裁量でできることが増えていく、というわけだ。結果が悪ければ、もちろん自分に跳ね返ってくる。でもそれは「高校野球で3-6で負ければ、夏が終わる」みたいなもので、「だから高校野球なんてやらないほうがいい」ということにはならない。自分の能力は高めるに越したことはないのだ。
【執筆者】Bear