2019/12/05 変化は「恐怖」「我慢」との戦い
あなたは「変化」していますか?
そういえば、みなさん小さいころは、毎年変化を(ある意味)強いられていたのではないでしょうか。幼稚園や保育園に通っていた人なら、毎年クラスが変わるごとにやるべきことの難易度が上がっていきました。幼稚園・保育園は送り迎えをしてもらっていた人も、小学生という段階で親から離れて自分の力で学校へ向かわなくてはならなくなります。遊び中心の生活から「勉強」中心のクラス生活になり、その中身も学年が変わるごとにより難しくなっていきます。中学生までの義務教育を終え、高校から大学へと進んでいった人は、より高度で専門的な学問に触れ、「学ばされる」立場から「自ら学ぶ」立場へ変わっていくことを感じたのではないでしょうか。このように、日本において学生時代というのはある意味変化にとんだ時代であり、その環境を大人たちが準備してくれていました。
ところが、社会人になってしばらくすると、人は自分が自由であることにふと気づきます。朝、目が覚めてふと思い立てば、自分の気持ちひとつで旅に出ることができます。資金の問題さえクリアすれば、好きなところに住み、好きなものを買って好きな暮らしができます。学生のころのように進むべき線路は敷かれていませんので、「なにかをしなければいけない」ということはないのです。
そして、このような状況下で、多くの会社員の方がなにをしているかと言えば、毎日会社に通い、基本的には同じ仕事を淡々とこなしているのではないでしょうか。いつの間にかほとんど変化のない生活に身を置いています。学生気分が抜けずに、会社に「義務で」通っていると錯覚している人もいます。「変化がほしい」と言いながら、毎日同じようなことをして人生を送っていることに次第に疑問を持たなくなってしまいます。変化したいのになぜできないのでしょうか。
実は、変化にはストレスが伴うのです。例えば、昨日まで事務所入口右側にあった傘立てが、今日は入口左側に置いてあったとしましょう。傘を畳んで事務所に入ったあなたは無意識に右側の傘立てに傘をさそうとし、そこに傘立てがないことに気づきます。一瞬「なぜ?」と思ってから「あ、そうだ、今日から左側だ」と気づいて左側の傘立てを探し、ようやくそこに傘をさすのです。梅雨の季節で毎日雨であれば、このやりとりが数日続くことになります。2~3回目に「どうして傘立てが右側にないんだ!」と怒りを覚えるかもしれません。左側に置かれた傘立てを右側に戻したい衝動に駆られるでしょう。置いてある場所が少し変わっただけでも人はストレスを感じるのです。事務所内で、別の人の席に着いたあなたは、無意識に椅子を「いつもの」自分がしっくりくる高さに調節しているかもしれません。これも変化によるストレスを避けるためです。
変化が欲しいと言いながら、人は変化を嫌う行動を日常的にしているのです。そして、そうは言っても、台風や地震などの自然災害を始め、病気やケガなど、自分の力ではどうにもならない変化は突然襲ってきますので、そうした変化に対応しながら、また変化を嫌うようになっていきます。このような状況で「自ら」変化を起こすことは、より精神的な負担が大きい行動だと言えるでしょう。
変化には、起こす前の「恐怖」(変化することでストレスを抱えるのではないかと想像する恐怖)、起こした当面のストレスに耐える「我慢」が必要です。「恐怖」があるから人は変化を起こさないのであり、「我慢」に耐えられないから人は変化を元に戻そうとします。逆に言えば、この「恐怖」に打ち勝ち、「我慢」をし続ければ、変化を物にすることができるのです。ビジネスで言えば、新しい商売方法を思いついたとき、それを実行に移す決断時の恐怖に打ち勝ち、実行していくうちにぶつかるさまざまな困難を克服する「我慢」をし続けることで、その商売を確立させていくということになります。「我慢」を乗り越えると、「変化」は「日常」に変わり、今度はそれを辞めることが「変化」になりますので、ここまで来れば、商売は軌道に乗ったと言っていいでしょう。反対に、赤字が続く商売を辞める「変化」も同じような過程をたどって「日常」に落ち着くということです。
もう一度尋ねます。あなたは「変化」していますか? 変化が欲しいのであれば、自ら起こしましょう。「恐怖」と「我慢」を乗り切ったあなたは一つ上の段階へ行っているはずです!
【執筆】人事担当